『ファイナルファンタジーXIII』最後までプレイしないと魅力はわからない
期待が大きかっただけに落胆も大きかった
「このゲーム、面白くないのでは?」
それが『ファイナルファンタジーXIII』をプレイし始めて数時間で感じた、正直な感想だった。
一本道を、目的地を目指して進むフィールド。
「たたかう」コマンドを選択するだけの戦闘。
あとあと調べてみてわかったのだが、『ファイナルファンタジーXIII』はシリーズの中でも好き嫌いが別れている作品だそうだ。
有名作品だけあり、期待してプレイを始めた。
その分、落胆も大きかった。
しかしゲームは最後まで触れてみなければ、その魅力はわからないと思っている。
面白うかろうが、面白くなかろうが、私にはエンディングを迎えるまで突き進む以外の選択肢はなかった。
奥深い戦闘システム
『ファイナルファンタジーXIII』のエンディングを迎えて、最初の数時間で抱いた負の感情はどこかに吹き飛んでいた。
それと入れ替わるようにして、このゲームに触れてよかったという感情が芽生えていた。
特に戦闘のゲームシステムは、最初こそ「たたかう」を選ぶだけであったが、ストーリーが進むと「オプティマ」というシステムが追加され、奥深いものとなる。
キャラクターにはそれぞれ「アタッカー」や「ヒーラー」といったロール、いわゆる役割を複数持っており、戦闘に参加する3人のロールを組み合わせたものがオプティマだ。
リアルタイムで進んでいく戦闘の最中、状況に合わせてあらかじめ登録しておいた複数のオプティマを切り替えていく。
気づけば思いのほかダメージを受けていて、危機的状況に陥った。
回復中心のオプティマに切り替えなければ、このままやられてしまう。
ところがそういうときに限って、目当てのオプティマがどれだか、うまく判断できず、私の判断ミスで全滅していまうこともしばしば。
いつしか手に汗を握りながら、画面に食い入るようにしてゲームに没頭してしまっていた。
決して単純で退屈なものなんかではなかった。
キャラクター同士の関係が印象的なストーリー
好き嫌いが別れる理由として、ストーリーの難解さも挙げられている。
プレイする前からストーリーが難解だという噂は耳にしていたから、ある程度の覚悟はしていた。
しかし実際にプレイしてみると、それほど難しいとは感じなかった。
たしかに多少の難解さや突飛さはある。けれどもストーリーが進むごとに解放されるテキストを読んでいけば理解できる範囲だ。
ストーリーといえば、キャラクター同士の関わり方の変化が印象的だった。
『ファイナルファンタジーXIII シナリオアルティマニア』に掲載されているインタビューでは、野村哲也さんもキャラクター同士の関わり方の変化に注目してほしいと語っている。
ただ難解なストーリーなどではなく、しっかりと引き込まれるストーリーになっていたと感じた。
フィールドが一本道だったことは最後まで変わりなかったけれど、ストーリーと思いのほか戦略的な戦闘によって、そんなことはどうでもよくなった。
むしろRPGの形も様々で、これが『ファイナルファンタジー』の見せ方なのだろうと納得させられてしまったほどだ。
最後までプレイしてみなければ、ゲームの魅力はわからない。
どうせ自分の体はひとつしかないのだから
アルバイトいつ辞めようか
私の大学時代の思い出は、そのほとんどがアルバイト絡みだ。
アルバイトを通して多くの出会いがあったし、楽しいできごともたくさんあった。
今思い返しても、学校でのできごと以上に、アルバイト先でのできごとの方が鮮明に思い出されるほどだ。
けれども最初は、そんなに楽しいものではなかった。
アルバイトを始めて最初の半年くらい、常に私の頭にあったのは「いつ辞めようか」ということだった。
要領よくこなせない無力感
アルバイト先の店を運営する会社の偉い人が、時折り様子を見に訪れていた。どの店でもよくある光景だ。
私は要領がよくない。だからその人が店に来るたびに、いろいろと指摘されていた。
中でも「複数のことを同時にこなせ」というのは、私の悩みの種だった。
当然、指摘されたことを改善しようとは思うものの、いざ客足がピークに達すると、同時に私のキャパシティもピークに達してしまう。
私にはこなせない。
そんな無力感に苛まれ、バイトを辞めようと思っていた。
辞めようとしている雰囲気を察したのか、店長や先輩から全力で引き留められ、結局は辞めることなく働き続けることになったけれど、悩みが長引くことになってしまった。
アルバイトが楽しくなった日
そんなアルバイト生活を続けていた、ある日。一人のパートさんと勤務が重なった。
その日はそれほどお客さんも入っておらず、そのパートさんと世間話を交わす程度には余裕があった。
なぜかは知らないけどパートさんは、私が会社の偉い人からいろいろと指摘されていることを知っていた。
そしてこんなことを言った。
「どうせ自分の体はひとつしかないんだから、自分のペースで一つ一つをこなしていけばいい」
もやもやとした視界が、パンっと音を立てたように晴れ渡った。
本当にこれほどまでに、目の前が明るくなることがあるのかというくらい、一気にすっきりとした。
この日を境に、アルバイトが楽しくなった。
何があっても、自分のペースを崩さないようになり、それが気持ちの余裕に繋がり、要領よく動けるようになった。
今でも、この言葉は私の行動の支えになっている。
どれだけやらなければならないことが重なっても、一切慌てない。
気持ちに余裕を持って、一つ一つを整理する。そうすれば、物事の優先順位が見えてくる。
そうして一つ一つをこなしていけば乗り越えられる。
やらなければならないことが溢れたら、一旦開き直ってしまえばいい。
どんなに焦ろうが、騒ごうが、どうせ自分の体はひとつしかないのだから。
子どものころの夏休み気分に浸れる『妖怪ウォッチ』
子ども向けは思い違い
夏休み、自由研究のために、山へ虫取りに行った。
ところが、そこで出会ったのは虫ではなく、妖怪だった。
普通の小学生である主人公が、妖怪執事と名乗る『ウィスパー』と出会い、妖怪ウォッチを渡されたことがきっかけで、街中に潜む妖怪たちも見えるようになってしまうところから、ストーリーが展開していく。
『妖怪ウォッチ』は、2014年頃に子どもたちの間でブームになった作品だ。
当時の私は、あくまでも子どもの間でのブームであって、ゲームそのものも子ども向けに作られているものだと思っていた。
それは完全な思い違いであることに、気づかされることになった。
手軽に育成ゲームのワクワクを感じられる
一番魅力を感じたのは、手軽に育成ゲームを楽しめるという点だ。
戦闘は妖怪たちが自動で戦ってくれる。
プレイヤーがすることといえば、回復のためにアイテムを与えたり、妖怪を入れ替えたり、必殺技を使ったり。
それがゲームとしてつまらないかというとそんなことはなく、手軽ゆえに誰でも楽しめるのではないかと思う。
妖怪の強化も、敵の妖怪を倒して経験値を得てレベルアップさせていくのだが、経験値玉というアイテムを使うことでもレベルアップができる。
妖怪の中には、一定のレベルに達することで進化するものもいる。
手軽ながらも、育成ゲームならではのワクワクを、しっかりと感じることができるのだ。
日常に追われる大人にプレイしてもらいたい
本作では、主人公の自宅がある『さくらニュータウン』をはじめ、様々な町を歩き回ることになる。
多くの人が行き交う都会。
川のせせらぎが聞こえる山の中。
自然が溢れる田舎町。
歩き回っていて感じたのは、子どものころの夏休みだった。
まるで子どもの頃に戻ったような、そんな懐かしさに浸りながら、ストーリーを進めている私がいた。
これもまた、大人でも楽しめる魅力なのではないだろうか。
日常に追われている大人に、ぜひあの頃の思い出を胸に、プレイしてもらいたい作品だ。
十数年の時を経たリベンジの果ての新たな発見『ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち』
『ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち』への再挑戦
私が初めて触れたドラクエシリーズであり、初めて挫折を味わった作品でもある。
オリジナルは、2000年に発売されたプレイステーション版である。それから13年後の2013年に、ニンテンドー3DSでリメイク作が発売された。
プレイステーション版は、ネットが普及していなかった時代背景に加え、ゲームそのものの難易度が高かったが、ニンテンドー3DS版は、そのあたりが緩和されている。
私は、大人になって改めて、ニンテンドー3DS版にリベンジし、無事にクリアした。
クリアしてみて、子どものときにはなかった感情を抱いた。
難易度、ストーリー展開、すべてが悪印象だった
正直に言うと、『ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち』には、良い印象が無かった。
何度も書いているように、難易度が高く、挫折してしまったのも理由の一つではあるが、もう一つ理由がある。
誰がとはいわないが、メインキャラクターがストーリーの比較的序盤で離脱してしまうのだ。
当時から、冒険を進めて、仲間が徐々に増えていくストーリー展開が好きだった私には、このキャラクターが離脱するというのに納得ができなかった。
ただ、ドラゴンクエストシリーズでパーティメンバーが離脱することは、決して珍しいことではない。ストーリーの途中で一旦離脱し、またストーリーが進むことでパーティに戻ってくる。
ところが本作で離脱するキャラクターは、離脱した後、二度と戻ってくることはない。
ドラクエシリーズにおいて、メインのキャラクターが永久に離脱してしまうというのは、後にも先にも本作だけではないだろうか。
この『ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち』の特殊なストーリー展開に、どうしてもなじむことができなかった。
ところが、大人になってみると、ものの見方は変わるものである。
離脱するキャラクターと、後々仲間になるキャラクターの関係性を改めて考えたところ、これも一つの形なのではないかと思えたのだ。
そして迎えるエンディング。
本作は石板がストーリーの鍵となっている。
世界中を巡って石板の欠片を探し、石板を完成させることで新たな世界に旅立てる。
そんな石板は、エンディングでも重要な役割を担っている。
エンディングだけで言えば、『ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち』がシリーズ中で最も好きだと感じた。
やはりゲームは、プレイする年齢によって感じ方が変わるのだと、改めて実感した。
十数年の時を経て
ゲームなんて、やりたくなければやらなくても良いものだ。
子どもの頃の挫折から、このゲームに触れずに生きていくこともできただろう。
けれども、私は今一度『ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち』に触れてみる選択をした。
そして、新たな発見をすることができた。
あのときには見えなかったものが見えた。
十数年の時を経てでもクリアしてよかったと思う。
ニンテンドー3DSソフトドラゴンクエストVII エデンの戦士たち
爽快感を追求したゲームデザインに感心させられる『無双OROCHI』
無双シリーズの元祖とが混ざり合ったお祭り的作品
『ゼルダの伝説』の世界を舞台にした『ゼルダ無双』。
『ONE PIECE』のキャラクターが大暴れする『海賊無双』。
今や人気ジャンルの一つとなっている無双シリーズ。
数多くの敵をなぎ倒していく、爽快感があるゲーム性が特徴である。
無双シリーズの元祖とも言える存在が、『戦国無双』と『三國無双』ではないだろうか。
そんな『戦国無双』と『三國無双』のキャラクターが一堂に会する、いわばお祭り的な作品が『OROCHI無双』だ。
戦国と三国志が混ざり合うという、一風変わったストーリーもさることながら、爽快感を追求したゲームデザインに感心した。
爽快感を追求したゲームデザイン
大きな刀や薙刀を武器にしているキャラクターは、その武器を振り回して周りの敵を一掃する。
それは容易に想像ができると思う。
しかし中には、『無双』というゲームにふさわしくなさそうな武器も登場する。
たとえば、諸葛亮や小喬というキャラクターは、武器として扇を使用する。
一見すると、充分な爽快感が得られそうにない武器だ。
しかし、実際に使ってみると、しっかりと爽快感が得られるのだ。キャラクターの動きを見てみると、武器に関わらず、敵を一掃できるようなモーションが作られていることに気づく。
武器による難易度の違いはあれど、武器によって『無双』というゲームの楽しさを損なうことはない。
日々のストレスを拭い去るように
メインとなるゲームモードであるストーリーモードは、一つ一つのクエストが短時間で終わるようになっている。
隙間時間でも、少しずつ進めていけるのだ。
また、短時間で終わるからこそ、手軽に爽快感が得られる。
私は、就寝前にクエストを一つずつ消化していったのだが、一日のストレスが少し和らいだような気がしている。
ストレス社会の今だからこそ、無双シリーズも人気になっているのかもしれない。
そんなことを感じた作品だった。
『Shark』のコードレスクリーナーは、生活を豊かにしてくれる
掃除に時間を使うのはもったいない
暮らしを豊かにする一歩。
まず部屋を綺麗にしておくことは欠かせない。
週末は掃除の日と、気合を入れて毎週掃除をしているという人も少なくないのではないだろうか。
かういう私は、週末に時間を取られるのが嫌なので、まとめて掃除をすることはない。
まとめて掃除をしたところで、生活をしている以上は常に汚れていってしまう。それなのに時間を使うのはもったいないではないか。
そんなふうに思ってしまうのだ。
しかし、一切掃除をしないわけにはいけない。掃除をしなければ、あっという間にゴミ屋敷だろう。
毎日少しずつの掃除を支えてくれる『Shark』のクリーナー
そこで私が掃除をするときは、このような心持ちで取り組んでいる。
部屋の汚れを完璧にゼロにするのではなく、汚れを少しでも減らす。
日々、少しずつ汚れをなくしていけば、少なくとも現状維持はできる。
常に完璧を求めていては、疲れてしまう。であれば、このくらいの軽い気持ちでもいいのではないかと思っている。
こういう私の掃除に対する考え方を支えてくれているものがある。
『Shark』のコードレスクリーナーだ。
『Shark』のコードレスクリーナーは、デザイン性に優れ、コンパクトで扱いやすいのが特徴だ。
初めて見たときから、デザインに惹かれて購入を決めていた。
ところが、いざ使ってみると、デザイン性だけではなかった。
アタッチメントの着脱は片手で簡単にできる。
ふと目についた汚れも、さっとクリーナーを取り出して、さっと綺麗にできる。
本体に溜まったゴミの取り出しも、ほぼ手を汚すことなく、簡単にできてしまう。
手軽だからこそ、気になったときに、すぐに動くことができるのだ。
生活を豊かにしてくれる良い買い物になった
『Shark』のコードレスクリーナーを購入するまで、掃除をするのがおっくうで仕方なかった。多少の汚れは後回しにしてしまうこともあった。
しかし、『Shark』のコードレスクリーナーを購入してからは、気になったらすぐ掃除をするようになった。
おかげで、生活環境は非常に安定した。
掃除機やコードレスクリーナーの中では安価であるが、少なくとも私にとっては手軽に購入できるものではなかった。
しかし今となっては、多少無理をしてでも購入してよかったと思っている。
だって、これだけでも生活が豊かになったのだから。
『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』魔王を倒すことだけが正義なのか
ばらばらなストーリーが一つに収束していく
今まで数多くの『ドラゴンクエスト』シリーズ作品をプレイしてきた。
その中で、一番好きな作品が何かを問われれば、私は『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』だと答える。
ドラクエの一歩を踏み出したきっかけは、叔父から借りた『ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち』だった。
しかし、当時小学生だった私は、シリーズ随一の難易度と言われている『ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち』を前に挫折してしまった。
その後、再び叔父から渡された『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』をプレイし、見事クリアまでたどり着いた。
初めてクリアした作品だというのが、『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』が一番好きな作品だと思える最たる理由かもしれない。
『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』は、シリーズの中で唯一オムニバス形式が取られている。
ストーリーが1章から5章に分かれており、それぞれで操作キャラクターが変わる。
しかしどのストーリーも無関係ではない。
5章では、1章から4章で操作したキャラクターが仲間になり、最終的にはパーティとして行動することになる。
一見ばらばらなストーリーが、徐々に繋がっていく展開は、個人的に好きなのだ。
魔王の抱える悲しみ
魔王の抱えるものが描かれているところも、また異色である。
世界を制服しようとする魔王を、勇者が倒す。
それが、RPGの王道だ。
もちろん『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』も、勇者が魔王を倒すことになるのだが、魔王が魔王である理由がなんとも悲しいものなのだ。
ストーリーの最後、魔王と対峙する。
普段なら意気揚々と倒しにかかるのだが、『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』では、魔王を倒すことが本当に正義なのか、と考えされられた。
だから私は『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』が一番好きだと答える
最初から最後まで、一人の主人公にスポットを当てる作品も好きではある。
ただ、主人公が切り替わることで、他作品よりも仲間キャラクターにも愛着が湧いてくる。
徐々に繋がっていくストーリー。
そして、生まれて初めてクリアしたドラクエ。
『ドラゴンクエストⅪ 過ぎ去りし時を求めて』は、シリーズ30周年にふさわしい作品だったし、『ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁』の3代に渡る壮大なストーリーも魅力的だった。
ただ私はこれからも、一番好きなドラクエを問われれば『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』と答えると思う。
ニンテンドーDSソフトドラゴンクエストIV ~導かれし者たち~/p>
毎日やらなければいけないことになったから、私はソーシャルゲームから離れた
スタミナ消費に追われていた大学時代
ゲームの形はどんどんと変わってきている。
ゲーム機なんて持っていなくても、スマホで簡単にゲームをプレイできる。
ソーシャルゲームは基本プレイが無料なものがほとんどだから、さらに気軽に始めるられる。
私も大学生のときは、10個近いソーシャルゲームをスマホにインストールしていた。
そして、それら全てを同時進行で遊んでいた。
今はスタミナ制でないソーシャルゲームも増えているが、当時はほとんどのスマホゲームでスタミナ制が導入されていた。
1つのゲームのスタミナを使い切ったら、次のゲーム。
さらに、そのゲームのスタミナも使い切ったら、また次のゲーム。
そうして最後のゲームのスタミナを使い切ったころには、最初のゲームのスタミナが回復している。
そんなことを繰り返す毎日だった。
ソーシャルゲームは毎日やらなければならないものに
今の私は、ほぼソーシャルゲームに触れることがなくなった。
その理由は、しばらく自分自身もわかっていなかった。
日々、新しいソーシャルゲームが配信されている。
その中で気になったものがあれば、インストールして触れてみてみる。
ところが、どうも続かないのである。
最近になって、この理由が理解できたような気がしている。
要は、ソーシャルゲームに触れることが、毎日やらなくてはならないことになってしまっていたからなのだ。
ソーシャルゲームに導入されているスタミナ制とは、スタミナを消費してゲームを進めていくものである。消費したスタミナは時間経過とともに回復していく。
時間経過で回復するスタミナは、最大値以上にはなることはない。つまり最大までスタミナが回復したら、ゲームを起動してスタミナを使わないと無駄になってしまう。
スタミナを消費しないと、という思いが、いつしかソーシャルゲームを起動しないといけないという考えに切り替わってしまったのだろう。
期間限定のアイテムやキャラクターが手に入るイベントなどもまた、ソーシャルゲームを起動しなければという考えに拍車を掛けているような気がする。
キャラクターやアイテムを獲得するために、イベントを周回する。
スタミナが回復したら、また周回。
スタミナを無駄にしてしまうと、全てのキャラクターやアイテムを獲得できないかもしれない。
ソーシャルゲームは、毎日やらなければならないものになってしまった。
ゲームで疲れてしまっては本末転倒
頻繁にソーシャルゲームに触れていた大学時代。
コンシューマーゲームを中心に触れるようになった今。
この流れの中で感じたのは、ゲームはプレイしたいときにプレイするもので、やらなければならないことになってしまってはいけないということだ。
今も、全くスマホゲームに触れないわけではない。
ただ多くても2,3個のアプリしかインストールしない。
そして、スタミナやイベントを気にせず、自分のペースで触れるようにしている。
ゲームは触れたいときに触れて楽しむもの。
スタミナやイベントに追われて、それで疲れてしまっては本末転倒だと思っている。
文章を書く手が止まったときに開きたい『売れるコピーライティング単語帖』
文章表現の幅を広げてくれるかもしれない一冊
ライターという仕事に就いてから、様々な文章を書いてきた。
いろいろなテーマで。
いろいろな文体で。
その中で、私には悩みがあった。
どうしても文章表現が一辺倒になってしまうのだ。
文章が固くなってしまい、もう少しやわらかい表現にならないかと指摘されたこともある。
そんな私の悩みの一片を解決してくれそうな、ある書籍がSNSで話題にのぼっていた。
『売れるコピーライティング単語帖』。
コピーライティングに使える表現が詰まった一冊だそうだ。
私は早速、『売れるコピーライティング単語帖』を購入した。
ページをめくっているだけでも楽しい
本を開いて感じたのは、とにかく面白いということ。
これは人によって意見が別れるところではあると思うが、文章を書くこと、読むことが好きな人は同じ感想を抱くのではないだろうか。
本書は「問題提起をする表現」や「親近感につながる表現」など、場面ごとに項目が分けられている。
そして各項目には、その場面で使える表現が、まさに単語帖の要領で掲載されている。
さらに、その表現が実際に使われているキャッチコピーなども紹介されているのだ。
広告やポスターなどのキャッチコピーを眺めるのが好きな私にとっては、ここだけでも楽しめる。
その楽しみが、本書を開く機会を増やしてくれ、表現の幅を広げる機会にも繋げてくれているように感じる。
もちろん、人によりけりではあるのだが。
文章を書くときの道しるべに
使える表現の幅は広がるが、それを使いこなせるかは、書き手次第である。
だから、この一冊があれば、すぐに文章が劇的に良くなることはないだろう。
しかし、文章を書く手が止まったとき、道しるべになってくれる。
ページをめくっていると、使えそうな表現が、ふと目に留まることもある。
たとえ使える表現が見つからなくとも、眺めている中でアイデアが、ぽこっと浮かんでくることもある。
そんなことを繰り返しているうちに、本書に載っている表現も、うまく使えるようになっていくのではないだろうか。