『模倣の殺意』読んで「やられた」と言ってもらいたい
読後「やられた」と口にしてしまう
書店で偶然目についた一冊。
『模倣の殺意』。
作家の坂井正夫が自殺をした。
その自殺の真相を追う二人の人物、中田秋子と津久見伸助。
この二人の視点を交互に描きつつ、物語は進んでいく。
読み終えて、つい私はこう口にしてしまった。
「やられた」。
シンプルながら見破れない悔しさ
読み終わってみれば、非常にシンプルなトリックなのだが、だからといって簡単に見破れないのが悔しいところ。
解説には、この作品の変遷が書かれている。
最初に『模倣の殺意』が出版されてから、私が手に取った創元推理文庫版までの間に、いろいろ改訂があったというのだ。
もちろんストーリーの本筋は変わらないが、細かな記載に手が加えられ、少しずつ形を変えて、今の形になったのだそうだ。
私は、読み始めてすぐに、ある箇所に目をつけていた。
そこは、改訂される中で手が加えられた箇所。
もしその箇所に手が加えられていなければ、序盤でトリックを見抜けていたような気がしている。
ぜひ「やられた」と言ってもらいたい
また真相が描かれる第四部の扉には、こんな言葉が書かれている。
あなたは、このあと待ち受ける意外な結末の予想がつきますか。ここで一度、本を閉じて、結末を予想してみてください。
読者への挑戦状とする演出が為されているのである。
この扉も文庫版で追加されたものなのだそう。
作中に書かれた情報量や演出など、文庫版が完璧な形なのではないかと思うのだ。
そして、この作品が初めて世に出たのが1972年のこと。書店で偶然目にするまで、私は一切存在を知らなかった。
知らない作品の中に、これほどにも面白い作品が眠っているという、今後の読書への楽しみを増やしてくれた存在でもある気がする。
ぜひ実際に読んでみてほしい。
そして「やられた」と言ってもらいたい。