慎重すぎるのもいかがなものか
わたしは心配性。車を運転するとき「かもしれない運転」が重要って言われるけど、これを常日頃からやっている感じです。
たとえば外出するとき。もしかしたら使うかもしれない、これがないと困るかもしれない。こう考えては荷物をかばんに放り込み、いつもパンパンになったかばんを持ち歩くはめになります。
これは今にはじまったことではなくて、学生のときも、常にかばんや筆箱にはたくさんのものが詰め込まれていました。でもいくら思い返しても、その荷物たちは持ち歩いただけで使った記憶がないんですよね。使った記憶はないけれど、持ち歩いていないときに限って必要になったりするから、やっぱり持ち歩いてしまう。
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最近も、つくづく心配性だなぁ、と思ったことがあります。
わたしはスマホで撮った写真を、2つのアプリに保存しています。2つのアプリに別の写真を保存しているんじゃなくて、まったく同じ写真を、2つのアプリにそれぞれ保存しています。
まぁ無駄だよね。でも、もしもそのアプリがサービス終了したり、なにかしらのトラブルが起きてデータが消えてしまったら。そんなことを考えると写真が消えてしまうのがこわくて。そのうち2つのアプリに同じ写真を保存するようになってしまったわけです。
よくいえば「慎重」。悪くいえば「無駄が多い」。どうにかして考えを変えたいんだけど、なんとかならないものでしょうか。