今までの人生で三度観た映画
私はほとんど映画を観ない。
映画館で観るに限らず、DVDやテレビでも観ない。
友人の中には、毎週のように映画館に足を運ぶような人もいる。このように映画を観ることを趣味としている人と比べると、観た映画の本数は、きっと天と地ほどの差があるだろう。
それどころか、気になる映画だけを観る程度の人と比較しても、圧倒的な差があると思う。
それほど、人生で映画を観ることに時間を費やさなかった。
観ていても、途中で観るのをやめてしまうこともある。
最初から最後まで観た映画なんて、数えるほどしかないし、観たといっても、一本の映画につき一度しか観ていない。
ただ一本の映画を除いては。
その映画は『ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ』である。
一度しか見ていない映画ばかりの中、この映画だけはすでに三度観ている。
たしか、テレビで放送されていたのを観たのが一度目だ。
それは偶然の出会いだったが、これをきっかけに、この映画を好きになった。
その後、レンタル落ちではあったがDVDが売られていたので購入し、それを二度観た。
ストーリー展開の秀逸さ
この映画のなにが、私をこれほどにもひきつけているのか。
まずはストーリーだ。
少女エミリーは、父デイヴィッドと母アリソンと共に楽しい日々を過ごしていたが、ある日、アリソンが浴室で亡くなってしまう。
その日を境に心を閉ざしてしまったエミリーのためを思い、デイヴィッドはエミリーを連れてニューヨークの郊外へ引越しをする。
引越し後も心を閉ざしたままのエミリーだったが、チャーリーという友だちができたようで、時折チャーリーと遊んでいるようだった。
しかしエミリーがチャーリーと出会ってからというもの、飼い猫の死骸が浴槽に沈められていたり、壁に不吉なメッセージが残されていたりと、日常生活が徐々に浸食されていく。
チャーリーと遊ぶことをやめさせようとするデイヴィッドだったが、エミリーはチャーリーのことを詳しく話そうとはしないし、そもそもデイヴィッドはチャーリーの姿を見たことがない。
チャーリーとは何者で、何が目的でこのようなことをしているのか。
『ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ』というタイトルからも想像がつくかと思うが、この映画はホラー要素のある映画である。
しかしホラー云々よりも、ストーリー展開が魅力的な作品で、ホラーがそれほど得意でない私でも引き込まれてしまうのだ。
二度目以降は、ストーリーの展開に驚きはなくなる。
しかし、結末を知ったうえで観ると、また違った視点から観ることができるし、なにか伏線が隠されているのではないかと、隅々まで観たくなる。
また、この映画はエンディングが特徴的で、複数のエンディングが用意されている。
レンタル版のDVDには、2種類のエンディングが収録されており、市販されているDVDには5種類も収録されているそうだ。
これも、何度も観たくなる理由かもしれない。
初めて演技に魅力を感じた
そしてもう一つの魅力は、役者の演技力だろうと思っている。
私は、映画はおろかテレビドラマもほとんど観ない。
ゆえに役者の演技力の良し悪しなんてわからない。
ただ、この映画に出ている役者の演技力には、とても魅力を感じている。
特にエミリーを演じているダコタ・ファニングは、当時10歳ほどだろうが、父母と楽しく暮らす少女から、心を閉ざしてしまった姿、引越し先で知り合った女の子が持っていた人形の顔をつぶす狂気じみた姿と、一本の映画でころころと変わる表情には圧倒される。
こういった魅力の溢れる作品だからこそ、私は三度に渡ってこの映画を観ている。
実は、私の妹もこの映画が好きだ。
物語のはじまりは元旦なのだが、もはや『ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ』を観ることが、我が家の年末年始の恒例行事と化しつつある。