ゲームにまみれて、本にまみれて。

ゲームと本にまみれた、日常の話。

この世に小さな勇者が生まれた日

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勇者になった夏休み

 

初めてドラクエと出会ったのは、小学4年生のとき。

ドラクエ好きな叔父がきっかけだった。

 

そのころ、主にポケモンばかりをやっていて、他のゲームはほとんど触れていなかった。

 

そんな私を見て、「ドラクエをやってみてほしい」と、『ドラゴンクエストエデンの戦士たち』のソフトを、プレイステーションの本体ともに貸してくれたのだ。



その年の夏休み、私は勇者になった。



圧倒的な難易度を前に挫折

 

しかし、私の初めての冒険は、そう長くは続かなかった。

 

というのも『ドラゴンクエストエデンの戦士たち』、特にプレイステーション版の『ドラゴンクエストエデンの戦士たち』は、いまなお話題になるほどの難易度なのだ。

 

世界各地で石板を見つけ、その石板を神殿の台座にはめることで、さらに行ける島が増えていく、というストーリーである。

 

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その石板を探すことが、『ドラゴンクエストエデンの戦士たち』の主な目的であり、恐ろしいほどの難易度にしている原因でもあるのだ。

 

とにかく石板が隠されている場所がわかりにくい。

 

最初に見つける石板は、明らかに石板とわかる形で転がっている。

 

こうやって石板を見つけていけばいいのだと理解はしたのだが、それも最初だけ。

ほとんどは宝箱に入っており、一目で石板かどうかはわからない。

 

宝箱に入っているなら、まだ重要な存在に感じられるが、果てはツボの中に入っていることもある。

 

これは一筋縄ではいかないなと、子どもながらに思ったものだ。



当時、すでに大人だった人でも頭を悩ませたらしい。それを、たいしてゲームに触れてこなかった子どもがプレイすれば、挫折するのは火を見るよりも明らかである。



どこまで進めたかは覚えていないが、ガボというキャラクターが好きで、ガボを仲間にして冒険を終えた記憶がある。



ドラゴンクエスト導かれし者たち』で魅力を堪能

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そんな私を見かねた叔父は、新たなゲームソフトを持ってきてくれた。

プレイステーション版の『ドラゴンクエスト導かれし者たち』だ。

 

これならクリアできるだろうと選んでくれたようだった。

 

叔父の考えは見事に的中し、私は『ドラゴンクエスト導かれし者たち』を、エンディングまで突っ走った。

 

ストーリーは理解できていたかどうかは怪しいものだが、それなりに何か感じるものがあったのだと思う。そうでなければ、あれほど夢中にはならないだろうから。

 

クリア後に出てくる隠し要素まで遊びつくし、ドラクエの楽しさ、魅力を存分に堪能した。



それから数年して、ニンテンドーDSで、プレイステーション版の『ドラゴンクエスト導かれし者たち』の移植作品が発売された。

 

もちろんそれも購入し、あのときと同じようにストーリーのクリア後まで楽しんだ。



ドラゴンクエストエデンの戦士たち』で挫折したままだったら、きっとドラクエそのものに苦手意識を持っていただろうし、今でもプレイしていないかもしれない。



こうして一度は勇者になりそこねた少年は、無事に勇者になれたのだった。



ニンテンドーDSソフトドラゴンクエストIV 導かれし者たち[アルティメットヒッツ]

 

ニンテンドー3DSソフトドラゴンクエストVII エデンの戦士たち