ゲームにまみれて、本にまみれて。

ゲームと本にまみれた、日常の話。

子どものころの夏休み気分に浸れる『妖怪ウォッチ』

子ども向けは思い違い

 

夏休み、自由研究のために、山へ虫取りに行った。
ところが、そこで出会ったのは虫ではなく、妖怪だった。

 

普通の小学生である主人公が、妖怪執事と名乗る『ウィスパー』と出会い、妖怪ウォッチを渡されたことがきっかけで、街中に潜む妖怪たちも見えるようになってしまうところから、ストーリーが展開していく。


妖怪ウォッチ』は、2014年頃に子どもたちの間でブームになった作品だ。

 

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当時の私は、あくまでも子どもの間でのブームであって、ゲームそのものも子ども向けに作られているものだと思っていた。

それは完全な思い違いであることに、気づかされることになった。

 

手軽に育成ゲームのワクワクを感じられる

 

一番魅力を感じたのは、手軽に育成ゲームを楽しめるという点だ。

 

戦闘は妖怪たちが自動で戦ってくれる。
プレイヤーがすることといえば、回復のためにアイテムを与えたり、妖怪を入れ替えたり、必殺技を使ったり。

 

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それがゲームとしてつまらないかというとそんなことはなく、手軽ゆえに誰でも楽しめるのではないかと思う。

 

妖怪の強化も、敵の妖怪を倒して経験値を得てレベルアップさせていくのだが、経験値玉というアイテムを使うことでもレベルアップができる。

 

妖怪の中には、一定のレベルに達することで進化するものもいる。
手軽ながらも、育成ゲームならではのワクワクを、しっかりと感じることができるのだ。

 

日常に追われる大人にプレイしてもらいたい

 

本作では、主人公の自宅がある『さくらニュータウン』をはじめ、様々な町を歩き回ることになる。

 

多くの人が行き交う都会。
川のせせらぎが聞こえる山の中。
自然が溢れる田舎町。

 

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歩き回っていて感じたのは、子どものころの夏休みだった。
まるで子どもの頃に戻ったような、そんな懐かしさに浸りながら、ストーリーを進めている私がいた。

 

これもまた、大人でも楽しめる魅力なのではないだろうか。

 

日常に追われている大人に、ぜひあの頃の思い出を胸に、プレイしてもらいたい作品だ。

 

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ニンテンドー3DSソフト妖怪ウォッチ

 

 

 

十数年の時を経たリベンジの果ての新たな発見『ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち』

ドラゴンクエストエデンの戦士たち』への再挑戦

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ドラゴンクエストエデンの戦士たち

私が初めて触れたドラクエシリーズであり、初めて挫折を味わった作品でもある。

 

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オリジナルは、2000年に発売されたプレイステーション版である。それから13年後の2013年に、ニンテンドー3DSでリメイク作が発売された。

 

プレイステーション版は、ネットが普及していなかった時代背景に加え、ゲームそのものの難易度が高かったが、ニンテンドー3DS版は、そのあたりが緩和されている。

 

私は、大人になって改めて、ニンテンドー3DS版にリベンジし、無事にクリアした。

クリアしてみて、子どものときにはなかった感情を抱いた。

 

難易度、ストーリー展開、すべてが悪印象だった

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正直に言うと、『ドラゴンクエストエデンの戦士たち』には、良い印象が無かった。

 

何度も書いているように、難易度が高く、挫折してしまったのも理由の一つではあるが、もう一つ理由がある。


誰がとはいわないが、メインキャラクターがストーリーの比較的序盤で離脱してしまうのだ。

 

当時から、冒険を進めて、仲間が徐々に増えていくストーリー展開が好きだった私には、このキャラクターが離脱するというのに納得ができなかった。

 

ただ、ドラゴンクエストシリーズでパーティメンバーが離脱することは、決して珍しいことではない。ストーリーの途中で一旦離脱し、またストーリーが進むことでパーティに戻ってくる。

 

ところが本作で離脱するキャラクターは、離脱した後、二度と戻ってくることはない。

 

ドラクエシリーズにおいて、メインのキャラクターが永久に離脱してしまうというのは、後にも先にも本作だけではないだろうか。

 

この『ドラゴンクエストエデンの戦士たち』の特殊なストーリー展開に、どうしてもなじむことができなかった。

 

ところが、大人になってみると、ものの見方は変わるものである。
離脱するキャラクターと、後々仲間になるキャラクターの関係性を改めて考えたところ、これも一つの形なのではないかと思えたのだ。

 


そして迎えるエンディング。

 

本作は石板がストーリーの鍵となっている。
世界中を巡って石板の欠片を探し、石板を完成させることで新たな世界に旅立てる。

 

そんな石板は、エンディングでも重要な役割を担っている。

 

エンディングだけで言えば、『ドラゴンクエストエデンの戦士たち』がシリーズ中で最も好きだと感じた。


やはりゲームは、プレイする年齢によって感じ方が変わるのだと、改めて実感した。

 

十数年の時を経て

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ゲームなんて、やりたくなければやらなくても良いものだ。
子どもの頃の挫折から、このゲームに触れずに生きていくこともできただろう。

 

けれども、私は今一度『ドラゴンクエストエデンの戦士たち』に触れてみる選択をした。

 

 

そして、新たな発見をすることができた。
あのときには見えなかったものが見えた。

 

十数年の時を経てでもクリアしてよかったと思う。

 

 

ニンテンドー3DSソフトドラゴンクエストVII エデンの戦士たち

 

PSソフトドラゴンクエストVII エデンの戦士たち[PS one Books]

爽快感を追求したゲームデザインに感心させられる『無双OROCHI』

無双シリーズの元祖とが混ざり合ったお祭り的作品

 

ゼルダの伝説』の世界を舞台にした『ゼルダ無双』。
ONE PIECE』のキャラクターが大暴れする『海賊無双』。

 

今や人気ジャンルの一つとなっている無双シリーズ
数多くの敵をなぎ倒していく、爽快感があるゲーム性が特徴である。

 

無双シリーズの元祖とも言える存在が、『戦国無双』と『三國無双』ではないだろうか。

 

そんな『戦国無双』と『三國無双』のキャラクターが一堂に会する、いわばお祭り的な作品が『OROCHI無双』だ。

 

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戦国と三国志が混ざり合うという、一風変わったストーリーもさることながら、爽快感を追求したゲームデザインに感心した。

 

爽快感を追求したゲームデザイン

 

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大きな刀や薙刀を武器にしているキャラクターは、その武器を振り回して周りの敵を一掃する。


それは容易に想像ができると思う。

 

しかし中には、『無双』というゲームにふさわしくなさそうな武器も登場する。
たとえば、諸葛亮小喬というキャラクターは、武器として扇を使用する。

 

一見すると、充分な爽快感が得られそうにない武器だ。

 

しかし、実際に使ってみると、しっかりと爽快感が得られるのだ。キャラクターの動きを見てみると、武器に関わらず、敵を一掃できるようなモーションが作られていることに気づく。

 

武器による難易度の違いはあれど、武器によって『無双』というゲームの楽しさを損なうことはない。

 

日々のストレスを拭い去るように

 

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メインとなるゲームモードであるストーリーモードは、一つ一つのクエストが短時間で終わるようになっている。
隙間時間でも、少しずつ進めていけるのだ。

 

また、短時間で終わるからこそ、手軽に爽快感が得られる。

 

私は、就寝前にクエストを一つずつ消化していったのだが、一日のストレスが少し和らいだような気がしている。

 

ストレス社会の今だからこそ、無双シリーズも人気になっているのかもしれない。
そんなことを感じた作品だった。

 

 

PSPソフト無双OROCHI

 

PS2ソフト無双OROCHI [通常版]

 

XBOX360ソフト無双 OROCHI

 

 

 

『Shark』のコードレスクリーナーは、生活を豊かにしてくれる

掃除に時間を使うのはもったいない

 

暮らしを豊かにする一歩。
まず部屋を綺麗にしておくことは欠かせない。

 

週末は掃除の日と、気合を入れて毎週掃除をしているという人も少なくないのではないだろうか。

 

かういう私は、週末に時間を取られるのが嫌なので、まとめて掃除をすることはない。

 

まとめて掃除をしたところで、生活をしている以上は常に汚れていってしまう。それなのに時間を使うのはもったいないではないか。

 

そんなふうに思ってしまうのだ。

 

しかし、一切掃除をしないわけにはいけない。掃除をしなければ、あっという間にゴミ屋敷だろう。

 

毎日少しずつの掃除を支えてくれる『Shark』のクリーナー

 

そこで私が掃除をするときは、このような心持ちで取り組んでいる。

 

部屋の汚れを完璧にゼロにするのではなく、汚れを少しでも減らす。
日々、少しずつ汚れをなくしていけば、少なくとも現状維持はできる。


常に完璧を求めていては、疲れてしまう。であれば、このくらいの軽い気持ちでもいいのではないかと思っている。

 

こういう私の掃除に対する考え方を支えてくれているものがある。
『Shark』のコードレスクリーナーだ。

 

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『Shark』のコードレスクリーナーは、デザイン性に優れ、コンパクトで扱いやすいのが特徴だ。

 

初めて見たときから、デザインに惹かれて購入を決めていた。

ところが、いざ使ってみると、デザイン性だけではなかった。

 

アタッチメントの着脱は片手で簡単にできる。
ふと目についた汚れも、さっとクリーナーを取り出して、さっと綺麗にできる。

本体に溜まったゴミの取り出しも、ほぼ手を汚すことなく、簡単にできてしまう。

 

手軽だからこそ、気になったときに、すぐに動くことができるのだ。

 

生活を豊かにしてくれる良い買い物になった

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『Shark』のコードレスクリーナーを購入するまで、掃除をするのがおっくうで仕方なかった。多少の汚れは後回しにしてしまうこともあった。

 

しかし、『Shark』のコードレスクリーナーを購入してからは、気になったらすぐ掃除をするようになった。


おかげで、生活環境は非常に安定した。

 

掃除機やコードレスクリーナーの中では安価であるが、少なくとも私にとっては手軽に購入できるものではなかった。

 

しかし今となっては、多少無理をしてでも購入してよかったと思っている。

 

だって、これだけでも生活が豊かになったのだから。

 

 

 

 

 

『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』魔王を倒すことだけが正義なのか

ばらばらなストーリーが一つに収束していく

 

今まで数多くの『ドラゴンクエスト』シリーズ作品をプレイしてきた。
その中で、一番好きな作品が何かを問われれば、私は『ドラゴンクエスト導かれし者たち』だと答える。

 

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ドラクエの一歩を踏み出したきっかけは、叔父から借りた『ドラゴンクエストエデンの戦士たち』だった。

 

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しかし、当時小学生だった私は、シリーズ随一の難易度と言われている『ドラゴンクエストエデンの戦士たち』を前に挫折してしまった。

 

その後、再び叔父から渡された『ドラゴンクエスト導かれし者たち』をプレイし、見事クリアまでたどり着いた。


初めてクリアした作品だというのが、『ドラゴンクエスト導かれし者たち』が一番好きな作品だと思える最たる理由かもしれない。

 

ドラゴンクエスト導かれし者たち』は、シリーズの中で唯一オムニバス形式が取られている。

 

ストーリーが1章から5章に分かれており、それぞれで操作キャラクターが変わる。

しかしどのストーリーも無関係ではない。

 

5章では、1章から4章で操作したキャラクターが仲間になり、最終的にはパーティとして行動することになる。

 

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一見ばらばらなストーリーが、徐々に繋がっていく展開は、個人的に好きなのだ。

 

魔王の抱える悲しみ

 

魔王の抱えるものが描かれているところも、また異色である。

 

世界を制服しようとする魔王を、勇者が倒す。
それが、RPGの王道だ。

 

もちろん『ドラゴンクエスト導かれし者たち』も、勇者が魔王を倒すことになるのだが、魔王が魔王である理由がなんとも悲しいものなのだ。

 

ストーリーの最後、魔王と対峙する。

普段なら意気揚々と倒しにかかるのだが、『ドラゴンクエスト導かれし者たち』では、魔王を倒すことが本当に正義なのか、と考えされられた。

 

 

だから私は『ドラゴンクエスト導かれし者たち』が一番好きだと答える

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最初から最後まで、一人の主人公にスポットを当てる作品も好きではある。

ただ、主人公が切り替わることで、他作品よりも仲間キャラクターにも愛着が湧いてくる。


徐々に繋がっていくストーリー。

そして、生まれて初めてクリアしたドラクエ

 

ドラゴンクエスト過ぎ去りし時を求めて』は、シリーズ30周年にふさわしい作品だったし、『ドラゴンクエスト天空の花嫁』の3代に渡る壮大なストーリーも魅力的だった。

 

ただ私はこれからも、一番好きなドラクエを問われれば『ドラゴンクエスト導かれし者たち』と答えると思う。

 

 

ニンテンドーDSソフトドラゴンクエストIV ~導かれし者たち~/p>

 

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毎日やらなければいけないことになったから、私はソーシャルゲームから離れた

スタミナ消費に追われていた大学時代

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ゲームの形はどんどんと変わってきている。

 

ゲーム機なんて持っていなくても、スマホで簡単にゲームをプレイできる。
ソーシャルゲームは基本プレイが無料なものがほとんどだから、さらに気軽に始めるられる。

 

私も大学生のときは、10個近いソーシャルゲームスマホにインストールしていた。
そして、それら全てを同時進行で遊んでいた。

 

今はスタミナ制でないソーシャルゲームも増えているが、当時はほとんどのスマホゲームでスタミナ制が導入されていた。

 

1つのゲームのスタミナを使い切ったら、次のゲーム。
さらに、そのゲームのスタミナも使い切ったら、また次のゲーム。

 

そうして最後のゲームのスタミナを使い切ったころには、最初のゲームのスタミナが回復している。

 

そんなことを繰り返す毎日だった。

 

ソーシャルゲームは毎日やらなければならないものに

 

今の私は、ほぼソーシャルゲームに触れることがなくなった。

 

その理由は、しばらく自分自身もわかっていなかった。

 

日々、新しいソーシャルゲームが配信されている。
その中で気になったものがあれば、インストールして触れてみてみる。

 

ところが、どうも続かないのである。

 


最近になって、この理由が理解できたような気がしている。
要は、ソーシャルゲームに触れることが、毎日やらなくてはならないことになってしまっていたからなのだ。

 

ソーシャルゲームに導入されているスタミナ制とは、スタミナを消費してゲームを進めていくものである。消費したスタミナは時間経過とともに回復していく。

 

時間経過で回復するスタミナは、最大値以上にはなることはない。つまり最大までスタミナが回復したら、ゲームを起動してスタミナを使わないと無駄になってしまう。

 

スタミナを消費しないと、という思いが、いつしかソーシャルゲームを起動しないといけないという考えに切り替わってしまったのだろう。

 

期間限定のアイテムやキャラクターが手に入るイベントなどもまた、ソーシャルゲームを起動しなければという考えに拍車を掛けているような気がする。

 

キャラクターやアイテムを獲得するために、イベントを周回する。
スタミナが回復したら、また周回。

 

スタミナを無駄にしてしまうと、全てのキャラクターやアイテムを獲得できないかもしれない。

 

ソーシャルゲームは、毎日やらなければならないものになってしまった。

 

ゲームで疲れてしまっては本末転倒

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頻繁にソーシャルゲームに触れていた大学時代。
コンシューマーゲームを中心に触れるようになった今。

 

この流れの中で感じたのは、ゲームはプレイしたいときにプレイするもので、やらなければならないことになってしまってはいけないということだ。

 

今も、全くスマホゲームに触れないわけではない。
ただ多くても2,3個のアプリしかインストールしない。

 

そして、スタミナやイベントを気にせず、自分のペースで触れるようにしている。

ゲームは触れたいときに触れて楽しむもの。


スタミナやイベントに追われて、それで疲れてしまっては本末転倒だと思っている。

 

 

 

文章を書く手が止まったときに開きたい『売れるコピーライティング単語帖』

文章表現の幅を広げてくれるかもしれない一冊

 

ライターという仕事に就いてから、様々な文章を書いてきた。

 

いろいろなテーマで。
いろいろな文体で。

 

その中で、私には悩みがあった。

 

どうしても文章表現が一辺倒になってしまうのだ。
文章が固くなってしまい、もう少しやわらかい表現にならないかと指摘されたこともある。

 

そんな私の悩みの一片を解決してくれそうな、ある書籍がSNSで話題にのぼっていた。

 

『売れるコピーライティング単語帖』。
コピーライティングに使える表現が詰まった一冊だそうだ。

 

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私は早速、『売れるコピーライティング単語帖』を購入した。

 

ページをめくっているだけでも楽しい

 

本を開いて感じたのは、とにかく面白いということ。

 

これは人によって意見が別れるところではあると思うが、文章を書くこと、読むことが好きな人は同じ感想を抱くのではないだろうか。

 

本書は「問題提起をする表現」や「親近感につながる表現」など、場面ごとに項目が分けられている。


そして各項目には、その場面で使える表現が、まさに単語帖の要領で掲載されている。

 

さらに、その表現が実際に使われているキャッチコピーなども紹介されているのだ。

 

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広告やポスターなどのキャッチコピーを眺めるのが好きな私にとっては、ここだけでも楽しめる。

 

その楽しみが、本書を開く機会を増やしてくれ、表現の幅を広げる機会にも繋げてくれているように感じる。


もちろん、人によりけりではあるのだが。

 

文章を書くときの道しるべに

 

使える表現の幅は広がるが、それを使いこなせるかは、書き手次第である。
だから、この一冊があれば、すぐに文章が劇的に良くなることはないだろう。

 

しかし、文章を書く手が止まったとき、道しるべになってくれる。


ページをめくっていると、使えそうな表現が、ふと目に留まることもある。

たとえ使える表現が見つからなくとも、眺めている中でアイデアが、ぽこっと浮かんでくることもある。

 

そんなことを繰り返しているうちに、本書に載っている表現も、うまく使えるようになっていくのではないだろうか。

 

 

 

 

 

大人にこそ読んでほしい絵本『おおきな木』

大学を卒業したときの贈り物

 

大学生のころにアルバイトをしていた飲食店では、少し不思議な風習があった。

 

大学を卒業するなどで、アルバイトを辞めることになると、そのお祝いとして運営会社からプレゼントが送られるのだ。

 

そこまでは、割と普通のことかもしれない。

 

しかし、そのプレゼントというのが絵本なのだ。

 

だいたいが大学を卒業するタイミングでアルバイトを辞めるから、22歳とか23歳ということになる。

 

もう充分に大人になっている人間に、なぜ絵本なのか。

それがアルバイト先で、ずっと疑問視されていたことだった。


私が卒業するときも、例によって絵本をもらった。

 

タイトルは『おおきな木』。

 

本が好きな私は、全く嬉しくなかったわけではないものの、いまさら絵本もないだろうと、ずっと封も開けずに置いていた。

 

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心に触れてくる絵本

 

それから幾年月が流れたある日、部屋を掃除しているとき、本棚にこの絵本があるのを見つけた。

 

なにか理由があったわけではないが、せっかくだから読んでみようと、数年越しに封を開けた。

 

そこには、シンプルに描かれた一本の木と少年、そこに短くもやさしい文章が添えられていた。

 

おおきな木と、成長していく少年の姿を描いた、この絵本。


もともとは海外の絵本であり、それを村上春樹さんが翻訳している。

 

 

村上春樹さんが書いたあとがきには、次のように書かれている。

 

あなたがこの物語の中に何を感じるかは、もちろんあなたの自由です。それをあえて言葉にする必要もありません。そのために物語というものがあるのです。

 

だから私も、どう感じたのか、どう解釈したのかを書くつもりはない。

 

ただ、いろいろと考えてしまうところがあった。

 

今まであったできごと。
今まで出会った人々。

 

この絵本は、私の中にある今までの人生で培ってきたものに、かすかに触れてきた。

 

だからこそ、読みながら年甲斐もなく涙してしまったのだ。

 

絵本は子どもだけのものではない

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今までの経験や境遇によって、読んだときの感じ方は変わるのではないだろうか。

年齢など、読むタイミングによっても、以前に読んだときと違う感じ方をするかもしれない。

 

もの悲しくなったり、優しい気持ちになったり。

 

そんな気持ちの変化から、自分を見つめなおすきっかけにもなりそうだ。

 

絵本は子どものためのもの。
そう思わずに、ぜひ『おおきな木』を読んでみてほしい。

 

 

 

 

 

『すばらしきこのせかい』記憶は薄れてもなお、色濃く残る感動

現実に近い世界観が新しいRPG

 

シリーズ初、ニンテンドーDSでの作品となった『キングダムハーツ 358/2 Days』。

 

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この『キングダムハーツ 358/2 Days』の構想を練るのに一役買った作品がある。

 

すばらしきこのせかい』だ。

 

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すばらしきこのせかい』をプレイしたのは、実は中学生のころ。

 

もう記憶は薄れつつあるのだが、それでも強烈に記憶に残っている部分が多々ある。そんな斬新さが魅力のゲームだ。



舞台は渋谷。

 

人々が行き交う雑踏の中目覚めたネクは、とあるゲームに参加されられ、そのゲームで7日間生き残らなければ、存在した事実を抹消すると言い渡される。

 

そんな理不尽とも思えるゲームに挑む7日間が描かれた作品である。



アクションRPGであり、ノイズと呼ばれる敵と戦っていくのだが、世界観は現実に近くなっている。

 

たとえば、キャラクターの装備は盾や鎧などではなく、Tシャツや靴などを装備する。

武器も剣のようなものはなく、バッジを使ったサイキック能力で戦っていく。

 

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またバッジには、それぞれにブランドがある。

 

バッジを使い続けていると、そのブランドがトレンドとなり、攻撃力上昇などの恩恵を受けられるのも、現実を取り入れたシステムだ。



ニンテンドーDSの、二画面とタッチ操作を最大限に活用しようと開発されただけあり、戦闘システムは非常に斬新なものになっている。

 

戦闘では、ニンテンドーDSの上下二画面を同時に操作する。

 

下画面では主人公のネクをタッチで操作。

上画面ではパートナーをボタンで操作。

 

二画面に表示されたキャラクターを同時に操作するゲームというのは、後にも先にも『すばらしきこのせかい』だけなのではないだろうか。



ちなみにパートナーの操作はオートに設定もできる。無理に二画面を操作しなくても良いのは、押しつけがましくなくて良い。




映画を見終わったような気持ちになるエンディング

 

ネクを中心に、渋谷での7日間を描いたストーリーだが、パートナーのシキ、ヨシュア、ビイトとそれぞれ7日間を過ごすことになるため、ボリュームがかなり多い。

 

そして、それだけの長い時間を過ごすのだから、パートナーを含めキャラクターへの愛着が湧いてくる。

 

そんな中で迎えるエンディング。

 

JYONGRIさんの『Lullaby For You』が流れてくる。

 

それまでのストーリーで感じてきたことを踏まえたうえで耳にするエンディング曲のやさしいイントロ。まるで映画を見終わったような気持ちにさせられる。

 

中学生当時、これほどゲームのエンディングで余韻に浸ったのは、初めてだったかもしれないし、あのときの気持ちだけは今でも色濃く残っている。



オリジナル版にしかない魅力

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ニンテンドーDSで発売された『すばらしきこのせかい』だが、その後スマホ向けに『すばらしきこのせかい Solo Remix』や、Nintendo Switch向けに『すばらしきこのせかい Final Remix』が発売されている。

 

それぞれ、新たなシナリオなどが追加されおり、こちらを遊ぶのも良いと思う。

 

しかし、これらはエンディング曲が変わっていおり、当然ながら二画面の戦闘は体験できない。

 

ニンテンドーDS版にしかない魅力があるのだ。



すでに『すばらしきこのせかい Final Remix』などをクリアしている人も、ニンテンドーDSに立ち戻って、もう一度プレイしてもらいたいと思う。

 

ニンテンドーDSソフトすばらしきこのせかい [通常版]

 

 

 

会いたい人に会えないとき、心の片隅に置いておきたい言葉

新型コロナウイルスによって変わった世界

 

2020年が始まって間もなく、新型コロナウイルスによって、世界中が大きな変化をせざるを得なくなった。

 

企業はテレワークを実施するようになったし、飲食店などの店舗は営業時間を短縮すりょうになった。

 

周りを見渡すと、皆マスクをつけている。

 

とんでもない時代になってしまった。つくづくそう感じる。



移動の制限もされるようになったから、人に会いづらくもなってしまった。

家族や友人などに会えていないという人も少なくはない。



一緒に夕陽を見られたらいいなって

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キングダムハーツ 358/2 days』をプレイしていたときのこと。

 

会いたい人に簡単に会えなくなった世界で、心の片隅にでも置いておきたい言葉に出会った。



本作の主人公ロクサスは、日々任務をこなしていく。

 

そして、任務が終わると、シオン、アクセルとともにアイスを食べることが日課になっていた。

 

そんなある日、ロクサスは言うのである。

 

「こうやってずっと 一緒にいられると、いいな」

 

「毎日、任務のあとに3人で アイスを食べて一緒に夕陽を 見られたらいいなって」

 

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3人で過ごす日々の中で、親友として、ずっと一緒にいたいと思う気持ちから出た言葉だ。



そんな気持ちを抱いてはいるが、ロクサスをはじめ、シオンやアクセルも『ノーバディ』と呼ばれる、心を持たない存在である。

 

それゆえに、ずっと一緒にいることは無理だとアクセルは言う。



大切なのは みんなで毎日会うことじゃない

 

しかし、続けてアクセルは、ロクサスにこんなことを伝える。

 

「大切なのは みんなで毎日会うことじゃない」

 

「会えなくても、お互いのことを いつも考えている方が大切だろ?」

 

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キングダムハーツ 358/2 days』は、今から10年以上も前に発売されたゲームであるが、10年の時を越えて、今の時代に合った考え方を提示してくれている。

 

案外、こういうところにも、古いゲームを今更ながらにプレイする意味があるのかもしれない。



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